2019.7.20 ポケットベル

かつて一世風靡したポケットベル(ポケベル)が、今年9月に完全にその通信サービスが終了となるとのニュースを聞いて驚いた。携帯、メールといった当り前のこの時代にまだ、ポケベルが生き残っていたことと、それを利用している人が1500名ほどいるといった事実に驚きである。救急疾患を扱う循環器医としてはかつて必需品であった懐かしい思い出がある。24時間、365日,、風呂に入るときはドアの横に、眠るときは枕元に、それ以外は常に携行するといった習慣をつけ、外出する時や夜中にはいつポケベルが鳴るのかと不快な緊張感を持った生活が続いていた。今の携帯と違って直ぐに会話ができるわけでなく、相手(病院)から突然呼び出され、昼ならまだしも真夜中ともなるとその『 ピー、ピー 』といった音が家中に響き渡り、目覚まし時計以上に敏感に起こされ、すぐさま病院へ確認の電話を入れて要件を確認するといった日々である。心筋梗塞の患者(急患)が運ばれてきた場合が圧倒的に多く、当直医からの要請であり、真夜中に車を走らせてカテーテル治療(インターベンション)目的に駆けつけることが殆どであった。自分のみならず、大きなポケベルの音で家族も一緒に目覚めさせてしまう日々であった。携帯電話の無い時代であるため、高速道路を運転している時なら、一番近い出口を降りて、公衆電話を探し、病院へ確認の電話を入れることになる。また、外食中などは、店の外の公衆電話を探したりと、容赦なく鳴り響くポケベルの音に、文句も言えずこれが当たり前であると納得していた当時の医師の一人であった。今や、どこに居ても双方向通話ができる携帯の時代が羨ましくも思える。医師のプライべートだの、働き過ぎだのと言っておれる時代ではなく、倒れる者は敗北者の時代であった。先の『 嶋の大ばあちゃん 』でも出てきたが、私が関西労災病院で勤務していた時は、大阪労災病院で勤務していた時代以上に急患が多く、少人数の医師で治療を担当していたものだから、毎回全員集合といったルールになっていた。季節によってはほぼ毎日夜中にポケベルで起こされ、暗い夜道を宿舎(官舎)から自転車で駆け付けた思い出がある。週1日の休みに結婚したばかりの私どもは、いつポケベルがなって病院に駆けつけないといけないかもしれないとの思いで、二人で買い物に行くのも車で30分以内のところが精々で、地階での買い物(大抵は食料品)はポケベルの電波が届かないので、家内一人で買い物をし、私は駐車場で待つといった生活であった。このようなタイミングにポケベルが鳴るのもしばしばで、公衆電話を探して要件を確認後、地階で買い物をしている家内を走って呼びに行き、買い物も途中で精算させ、急いで病院に駆けつけるといった日々であった。外食中も容赦はない。注文してから食べるまでの間にポケベルがなることも何度もあった。こんな時は、お金だけ払って店を出たこともあった。希望して循環器医になったからには宿命と感じ、後に大阪労災病院のカテーテル室長になった時には、後輩たちに 『 これが循環器医の宿命、嫌ならやめろ!』 などと言ったものだった。今となれば懐かしい必需品であったポケベルではあるが、当時は憎きポケベルであった。