2018.11.9  どこかおかしい今の世の中2 ・・・ 不謹慎狩り

今朝の産経新聞に学習院大学の遠藤薫氏が「不謹慎狩り」という記事を掲載していた。非常に聞きなれない言葉である。記事を読んでいくうちに「な~るほど」と、日ごろ私が納得できない不快感を少なくとも解消してくれた。「不謹慎」とは慎みや考慮、思慮分別の欠如などを指して言う感情的形容詞(形容動詞)で、それを見る他者を不快にするような状態であると感じられる事象あるいは集団感情のこととフリー百科事典ウィキペディアに記されている。どうも不謹慎とは個人の感情というより集団での感情のようであることに少しの違和感を感じる。 辛い目に遭っている人に、無神経にも思慮分別の無い発言や行動をとる人間がいる。いわゆる不謹慎者である。昔なら「 あの人は無神経だよね。人の辛さもわからない人だよね 」 などと陰でささやかれて事は終わっていたが、最近は携帯(スマートフォン)や PC の SNS(交流サイト)で陰口が一斉に拡散され、それについてああだこうだと強烈な批判に進化していってしまう。そうなると、どんどん過激になり、不謹慎者となった人間はいつの間にか陰でのささやきが廻り廻って自分が叩き潰されるまで非難制裁を受けるようになってしまう。これが「 不謹慎狩り 」というものらしい。もう、標的になってしまうと社会におれなくなってしまうほどで、最悪うつ病や自殺にまで発展してしまう事例もあるようだ。不謹慎な言動を指摘注意することは悪いことではないが、指摘注意するなら自分の名前、顔を表し、直接本人に言うべきである。結局は、自分に自信のない弱い人間が SNS といった便利な道具を得たことで日常発言もできず、孤独に生活を送っている憂さ晴らしをしているように思える。確かに、辛い目にあっている人に対して無神経、不謹慎な言動には非難することは悪くはないが、制裁を加え 叩きのめすまでの行動はやりすぎである。SNS だけでなく、TV での情報番組もそうである。なんら法律的には問題はないが、不謹慎であるということを理由に、その人間を完全否定し、二度と浮き上がってこれないほどにまで叩きのめす低能マスコミも同様である。まあ、不謹慎者をかばう気は毛頭ないが、謝罪するべきところは謝罪し、過剰に非難されていることには一切謝罪をしないことが不謹慎狩りの対策だと思うのだが・・・