2017.1.29 世も末

先日、Mさんが駅の階段でつまずいて転倒し、頭をぶつけて3針縫うほどの怪我をした。勢いよく後方から走ってきた人と接触したらしい。「 エスカレーターを使えばよかったのに 」と言うと「 先生、今のエスカレーターは縦に一列に並ぶような、どうも不可解なものになってしまって乗り口で渋滞するもんだから階段を使うことが多いです。」「 そうですよね。私も以前から気になって、この光景を見るたびに世の中の終わりだとも思ったりすることがあります 。」いつからこんなことになったのだろうか?はじめの頃は駅のエスカレーターだけであったのが、いまでは百貨店などありとあらゆる場所で全てのエスカレーターがそうなっている。東京と大阪は並ぶ側が違うと誇らしげに話しているTVを見たことがある。確かに駅の場合は、急がないと電車に乗り遅れそうになる場合など、片側を空けておいてあげることは悪くはないが、なぜ急ぐ必要もない百貨店などのエスカレーターまで片側を空けておく必要があるのか全く理解に苦しむ。中には急いで階下・階上に行きたい人もいるだろうが、その場合は「 すいません 」の一言を言えばいいだけのことである。私は意地悪にも、友人や家族とエスカレーターに乗る場合は、駅以外は敢えて横に並んで乗るようにしている。Mさんのいうように、乗り口で渋滞していることも結構ある。今の人たちは考えることより、右にならえをしておけば楽だと思う人が多すぎる。スーパーのレジでもトートバッグを持参している人は、『 NO レジ袋 』の札を買い物かごの上において精算をしてもらうシステムが普及している。「 レジ袋要りません 」と一言発することがそんなに煩わしいことなのか?店員との会話をしてはいけないのか? なんと、しらけた世の中になってしまったことか。そのうち、病院やクリニックでも同じようなシステムになるものと思われる。人工頭脳(AI)の登場である。コンピューター画面に向かって、症状を選択し指でクリック。画面の質問が次々に進み(銀行のATMのように)、最終的には『 あなたは、〇〇検査、△△検査を受けて下さい。○○検査は3番、△△検査は5番の検査室に行って下さい。』と、もはや医者に問診をしてもらうことはなくなることであろう。実際、今の大病院はマニュアル化されたガイドラインという症状や疾患に応じた検査と治療の虎の巻をみて、若い医師たちは医療に励んでいる。我々年代の医師と違って、事細かに問診なんぞしてくれない。一言、二言症状を訴えただけで、虎の巻に書いてある検査を無数といっていいほど多数の検査を一斉に予約し、患者さんに受けさせ後日結果説明。最早、人間である医者がする仕事ではなくなってきているのであり、後は立派な人工頭脳が出来上がるのを待つだけである。手術も、ダヴィンチという支援ロボットを使って遠隔操作で行うものであるから、直接患者さんに触れることもなく治療をしてしまう。今は病院内で行っているのであるが、そのうちロボットの操作器具を多数備えたセンターを1ヶ所に集約して、外科系の医師がそこから無線で手術をしてしまうことになるだろう。離れ島など医療水準の低い地域の人たちには有難い話だが、都会の病院でも現在のような多くの医者は必要なく、医師過剰な時代となってくることだろう。スマートフォン一つでなんでも調べ、すぐ答えが返ってくる便利な時代だが、しっかり本を読んで調べ、そこで考えるという一連の行為がなくなってきた現代、破滅に向かっていると感じるのは私だけだろうか。