2016.12.4 悪魔の尿管結石発作

ぎっくり腰になって5日が経ちますが、未だ痛みはひきません。朝、ベッドサイドに起き上がるのに5分以上もかかる状態です。連日、お年寄りの患者さんが「 朝起きる時に凄く腰が痛くて起き上がるのに一苦労です。」 という言葉が身に染みて良くわかります。私は20年ほど前から3回、この腰痛以上に恐ろしい尿管結石の発作を経験しています。まさに悪魔の到来です。例えようのない痛みで、少し腰に違和感を感じたとたん数分以内に激しい痛みが襲ってきます。初めて起こった20年ほど前は、朝6時ごろ就寝中に起こり、ベッド上で左右にのたうち廻っていました。数十分の格闘で少し立ち上げる余裕ができた時を見計らって、勤務先の病院に家族の車で運んでもらったことがありました。結局痛み止めなどの注射をうけるも効果なく、ベッド上でのたうち廻っているうちに少し楽になって帰りました(たまたまこの日まで夏季休暇中だったので業務にさしつかえませんでした)。翌日から、時折おとずれる痛みと闘いながらの仕事をしていましたが、幸い石が小さく間もなく軽快しました。その5年後にはこれにも増して激しい痛み発作を経験。開業して2年?ほど経過しており、幸い昼休み中のこと。やはり腰の違和感から始まり悪魔の到来です。4時間後の5時から夜の診察(今は3時から午後診)があるのでどうにか落ち着かせないとと祈りながら床の上をのたうち廻っていました。ベッドがあるのですが、痛みの激しさでベッドで休めるような状況でなく只々床の上をゴロゴロとのたうち廻っているだけです。痛みは徐々に軽快し、夜の診察にはぎりぎり間に合ったという状況で神に感謝して、何事も無かったかのように診察を始めました。しかし、3人目の診察で再び激しい痛みと吐き気を催し、トイレに駆け込んで吐いてしまった経験があります。職員に事情を説明してもらって、残りの患者さんの診察はできず、後日謝りの手紙を送ったことを覚えています。晩には落ち着き、帰宅しましたが、翌日の午前の診察中にまた激しい発作に襲われ診察を止めました。救急車で病院に行っても意味のないことを重々承知であるため、耐えるしかないのです。この石は2週間ほどで排尿時に飛び出してきました。米粒の半分ほどの小さなトゲトゲした憎き石でした。たった、こんな小さな奴に負けたのかという人間の弱さを感じました。そしてそこから10年後・・・・・

2016.12.11 続・悪魔の尿管結石発作

初回の尿管結石発作から丁度5年が経過したときに2度目の発作が起こり、その後5年経ち、6年経てど全く発作の気配もなく生活していたが、10年後の一昨年に3度目の発作が起こった。悪魔の到来である。2度目の時同様、午前の診察が終わった昼休みである。3度目ともなると、痛みで七転八倒しながらも、この先どうなるのかという時系列が頭をよぎり、不安は以前ほどではなかった。しかし、この時の痛みは過去2回をも凌ぐ激しさで、また長時間持続し、消失してもすぐに繰り返すというしつこさであった。結局、午後の診察には間に合わず休診させて頂いた。夜になっても痛みはひかず、只々床を転げまわっているばかりであった。結局、自宅にも帰れず、初めてクリニックで一夜を過ごすことになった。クリニックが4階にあるのだが、大げさでもなく、何度となく” 窓から飛び降りたくなる”ような気分であった。痛みに対して、ペインクリニックで麻酔を打ってもらったが効果なく、痛み止めの注射も効果なし。しかしながら、今回は、比較的ボルタレン坐剤が効果を表し、発作を感じるごとに早め早めに使うことで日々の診療、生活を凌いできた。1ヶ月が経過しても排石されない。痛みの度合いは軽くはなったとはいえ、坐剤なしではのたうち回る状況には変わりなかった。この時期に、B病院に出向して、患者さんのカテーテル治療をすることがあった。治療中は全く問題なく手技を進め終了することができたのだが、終わって20分ほどして発作が起こり出した。流石、プロだなと自分に感心しながら、坐剤を求め急いで自宅に戻った。10年前も、大阪市内の J病院に招かれてカテーテル治療を行ったとき、この時は既に結石が膀胱に落ちていたので痛みは全くなくなっていたのだが、頻繁にトイレに行きたくなるという状況で、我慢しながら手技を終えたという苦い思い出がある。結局、ボルタレン坐剤に感謝しながら結石が出たのは半年後であった。なんと出てきた石は長方形のスライドガラスを何層にも重ねたような見事な結晶で、11mm×7mmという恐ろしいほどの大きさであった。ここまで大きければ、本来、ESWL(衝撃波結石破砕術)の適応であったと思われるが、仕事を休む時間はなかった。先日、健診を初めて受けてみたが、CTで右腎臓に次の候補がしっかり準備をしているようだった。

2016.12.24 保険診療と人間ドック

「 先生、TVで血液検査をすれば癌がわかると言ってました。癌マーカーというのがあるらしいですね。 」と検査を希望するKさん。「 腫瘍マーカーのことですね。」 夫々の臓器にできる癌が特殊な物質を作り出し、血液中に放出してきます。これを検査で測定するものです。数十種類あります。例えば、胃がんや大腸がんであれば CEA などのマーカーが高値を示し、肝がんであれば AFP や PIVKA-Ⅱ などが上昇することがあります。しかしながら、あくまでも補助診断的な意味しかなく、異常値が出ても癌の存在は認められなかったり、正常だからといっても癌が隠れていることも良くあります。一般的には保険診療では特別な場合(癌の治療中や治療後の経過を見る目的)しか測定することはできません。「 Kさん、心配だから調べて下さいというのは皆さんが診察室で受けている保険診療ではできません。心配なので検査を受けたいという場合は、全額自己負担(保険がきかない)の人間ドックで検査を受けてください。心配だから・・・なんて検査していたら、保険制度がパンクしてしまいますよ。」 保険診療とは、何らかの症状があって病気を疑われる場合に医療機関を受診し、医師の判断で必要な検査や治療を行うことで、何の症状もなく、ただ心配だからというのでは保険診療にあたいしません。高齢者は1割負担なので自己負担が少なく、腫瘍マーカーのみならず、何でも心配だからと検査を受けたがる傾向が非常に強く感じます。検査の必要性は医師が判断するのであって、患者が希望するものではありません。

2016.12.30 今年も終わります

また今年も終わろうとしています。一日一日があっという間に過ぎてしまうせいか、一年もあっという間に終わってしまおうとしています。今年も 沢山の患者さんが診療に訪れ、元気を取り戻してもらえた方が多いことと思っていますが、私の力不足で元気が戻らない方もおられたことには、更なる勉強が必要と思っています。28年間医療に携わり、思い出に残る患者さんや、印象強かった疾患が思い出されるときがあります。研修1年目に90歳の明治生まれの Y さんが、心筋梗塞が原因で緊急入院。治療の効果もあって、元気になり退院されていかれましたが、入院中、胸痛や息苦しさを感じたときに舌下して使用するニトログリセリン錠(現 ニトロペン)について説明すると、「 先生、口の中で爆発しませんか? 」と真剣に尋ねて来られたことが今でも思い出されます。確かに、ニトログリセリンはダイナマイトの原料ですものね。O さんの場合は、胃カメラ検査でカメラを口に挿入するときに、「 Oさん、舌を出してべ~として下さい。」と私が指示すると、横になったまま、右人差し指を下まぶたに添えて、『 あっかんべ~』をされたとき、吹き出しそうになったことを今でも鮮明に覚えています。研修医時代は胃カメラもしていましたね。I さんは、いまでもクリニックに来てくれていますが、心臓外科の手術前にMRIをとることになり、私が研修をしていた R 病院には、当時 MRI がなく、私の車と、ご家族運転の車の2台が連なって(ナビがない時代)O 病院に行き、検査をしてもらったことも懐かしい思い出です。R 病院の心臓外科手術第一号でしたね。M さんの場合は、40歳台後半で不安定狭心症で R 病院を受診され、緊急でカテーテル治療をしました。家族性高脂血症が元々あり、内服薬では全くコレステロールが下がらないため、放置するとまた血管が詰まってしまうとの考えで、透析内科の医師にお願いして、2週間に一度、LDL アフェレーシス(透析の器械で血液中の悪玉コレステロールを抜いてもらう治療)をしてもらったことも、R 病院では第一号の治療でした。現在は、凄くよく効く内服薬ができ、お蔭で元気に月一回通院されています。N さん、S さんはともに心筋梗塞で緊急入院。カテーテル治療を担当しましたが、心筋のダメージが大きすぎて血流の再開だけでは延命効果も見込めず、当時世界的に行われ始め歴史の浅い『 Dor手術 』を心臓外科部長 T 先生に進言し、高リスクを覚悟で第一例、第二例の Dor 手術をしていただき、無事大成功を収め、T 先生の勇気と力量に敬意を表しました。今でもお二人はお元気に通院されています。まだまだ思い出される症例はあります。これからも、ところどころでご紹介します。 では、良き新年をお迎えできますよう心よりお祈り申し上げます。